垓下歌

垓下       秦帝国打倒を目指して、楚の項羽(前232―前202)と漢の劉邦(前247?―前195)が戦った
          場所。(現在の安徽省靈壁県)項王の軍がたてこもったとされる。
垓下の歌    垓下の戦いでクライマックスを迎えた時に項羽が作った有名な詩。
          武将が我が死を目前に、愛する人を思いやった詩・・・なんとやさしくロマンチストなんだろう・・・
司馬遷(前145?―前86)の「史記」項羽本紀による
 項王の軍、垓下にたてこもる。兵少なく食尽く。漢軍及び諸侯の兵、これを囲むこと数重。夜、漢軍の四面に皆楚歌するを聞く。項王、すなわち大いに驚きて曰く、 「漢軍既に楚を得たるか。これ何ぞ楚人の多きや。」 と。項王、すなわち夜起きて、帳(とばり)の中に飲む。美人あり、名は虞。常に幸せられて従う。駿馬、名は騅(スイ)。常にこれに騎る。ここにおいて項王、すなわち悲歌こう概(こうがい:なげく)し、自ら詩をつくりて曰く、


垓下歌

力は山を抜き 気は世を覆う
時利あらず 騅逝かず
騅逝かざるを いかにすべき
虞よ虞よ 若じ(なんじ)をいかにせん

わが力は山を引き抜き わが意気は世界を飲み込む
それほどなのに、いま時は不利 愛馬は進まぬ
進まぬ愛馬を どうすればよいのか
虞美人よ いまはそなたをどうしようもない


 虞美人は項羽にこたえて自らも歌を作り、これをうたい、歌い終わると懐から短剣を取り出し、わが胸を刺して命を絶つ。胸からほとりばしり出た鮮血が地面に吸い込まれたかと思うと、そこから一本の草がするすると生えてきて、やがて鮮血を思わす真紅の花を咲かせる。それが虞美人草と呼ばれる、という逸話もある。