詩人
年代
人物紹介
   
詠み人
知らず
今から
約三千
年前
 
桃夭

(chu3)
 
項羽
(xiang2 yu3)
前232-
前203

秦の打倒を目指して戦った両雄、漢の劉邦(liu2 bang1)と楚の項羽(xiang2 yu3)。垓下の戦いの際に詠った詩が有名。

 垓下歌
 
屈原
(qu1 yuan2)
?
端午の節句にちまきを食べる慣わしとなった由来の人。前403から前221の戦国時代、楚国の王の側近だった。ちまきにまつわる由来の話については、ここをご参照下さい。  

(han4)
         
三国
(san1 guo2)
魏国
(wei4 guo2)
曹植
(cao2 zhi2)
192-
232
魏の太祖として有名な曹操の次男。長男の曹丕(cao2 bei1)(後の文帝)とは仲が悪かった。弟である曹植は、兄にいじめられ、うとまれ、いつも身の危険を感じていた。  
六朝
(liu2 chao2)
 
陶淵明
(tao2 yuan1 ming2)
365-
427
李白も愛した酒の詩人。田園の中で労働し、自然と酒を愛して一生を送った。李白と共に「酒の詩人の双璧」と呼ばれる。  

(tang2)
初唐
杜審言
?
   
 
陳子ミ
?
   
盛唐
孟浩然
(meng4 hao4 ran2)
689-
740
科挙にも受からず、生前はパッとしない人生を送るが、李白や王維などから敬われ、親しまれていた。早くから隠居生活を送り、その様子が多くの詩に反映されている。
 春暁
 
李白
li3 bai2
701-
762
小さい頃から父について故郷朧西成紀(long3 xi1 cheng2 ji4)(おそらく今の?西省)を離れて蜀で暮らす。二十五歳で蜀を離れ、長期に渡って各地を放浪。一時は唐の玄宗皇帝の付き人となり、皇帝の為に詩を詠む仕事にも従事した。(皇帝が見た美しい景色を見て、「おい、この景色を見て、一句詠んでみろ。」と言われたら、そこで即興の詩を詠んだりした。)晩年はまた放浪人となる。その詩は想像力豊かで、浪漫主義精神旺盛で豪快である。李白は大酒飲み(中国語では「海量(hai3 liang4)」とか「酒鬼(jiu3 gui3)」などと言う)で、酒を愛して止まず、その酒への思い入れを詠んだ歌も多い。陶淵明と共に「酒の詩人の双璧」と呼ばれている。

 望郷の詩

酒の詩
   
王維
wang2 wei2
701-
761

若い頃から頭脳明晰で科挙にも若くして合格、早くから詩人として脚光を集めていた。特に美青年だったようで、当時から女性にはもてていたようだ。今でも、彼の芸術性高い詩には女性ファンが多い。宋の詩人、蘇東坡が王維を評した有名な言葉に、「詩中に画あり、画中に詩あり」(味摩詰之画、詩中有画;現摩詰之画、画中有詩)という言葉がある。彼の詩を読んでいると、まるで目の前にその絵が現れ、静寂の中から楽器の音などがあたかも聞こえてくるような感じがする。自然の中の色彩美を感じられる詩である。晩年は隠居生活を送り、その詩にも仏教の影響が見られる。

 望郷の詩

自然の詩
   
杜甫
du4 fu3
712-
770
河南人。現存する杜甫の詩は、およそ1400首を数える。天地を創造するような広大な表現力で読者を圧倒する。彼の視点は、大きい規模のものから繊細なものまで、その表現方法は多岐にわたる。唐の時代がもっとも盛えた時代から衰退していく歴史的過程におり、それが杜甫の詩に顕著に現れている。その代表作が「春望」であろう。杜甫は「詩史(shi1 shi3)」と呼ばれる。
春望
   
張継
zhang1 ji4
?-779
襄陽人。都と地方で官僚をしていた。多くの詩を書いていたようだが、残っているものは少ない。「楓橋夜泊」のこの一首によって今に至るまでその名を残している。
楓橋夜泊
中唐
韓愈
768-
824
河南人。いつも新しいもの、めずらしいものを追い求め、その為には危険をも恐れない詩人だった。宋の時代に大きく影響を与えた。また、古文運動にも身を投じ、その散文は「唐宋八大家」のひとつに挙げられている。  
 
白居易
772-
846
太原人。詩の散文化の担い手であった。”難しい詩”から、簡単で誰でも聞いて分かる散文のような詩を作った。「文章は時が合えば著し、詩は事が合えば作る」と主張した。散文の言葉を詩の中に導入し、「情」を主とする詩の中に散文の「理」を持ち込んだ。  
晩唐
杜牧
803-
852
杜甫の孫。その詩は清らかで美しく、後世に大きな影響を与えた。  
 
李商隠
813-
858
杜牧と同じく、晩唐の著名の知人。杜牧と合わせて”李杜(li3 du4)”と呼ばれる。